書庫3

暖房の独白にて綴ってきた雑感雑記 



小春日和

雑感雑記
 肌寒い日々と風が続き、あの暖かいほっとする小春日和が懐かしく思える。
秋風がふっと弱くなり、まるで春のようにほっかりと優しく暖かい小春日和。
秋という時季がまるで嘘のような不思議な一日、心も緩む陽射しと空気。
何時顔を出すか分からないこの一日が私は好きで、何か非日常を思わせる。
そこでは夢か何かのように太陽がこちらを向いていて、笑っているような気がする程で、一枚コートを脱ぎなさいとばかりに照らしてくれて、冷えた心を暖める。
小春日和という言葉も粋で、本当に小さな春が急に訪れたような気がする。
ほっとして、足が自然と前に出て、ようし頑張るぞと何故か思えて心地良い。

 天気というものは一日々々変わっていくもので、そこには大きな季節の流れがあって、その他にちょっと小休止のような変わった日が時折アクセントのように入り込んで、その度に何かしらの感慨にふけっていく自分がいて、流されて行く。
小春日和はその最たるもので、これから冬へと向かう中に不意に春を運んで来てくれるというのは実に幻想的で、まるで季節の逆転のような想いがする。
こういう事があるから季節というものは味わい深く、大きな何かを感じさせる。
人の手の届かない所から私達を包んでくれる自然というものを教えてくれる。
自然の流れが季節なのだとしたら、季節は私達の親であり母であり古里だ。

 さて、今日も風に吹かれながら小春日和を想い歩き、秋という母に抱かれる。
冷たいが包容力のある母で、よくここまで生きてきましたね、と回顧を促してくれて、大切な想い出を蘇らせてくれると共に、冬の眠りへの準備をさせてくれる。
この母もいいもので、一年という時を考えて四人の母を想う時、この母は大切な何かを想い出させてくれてしっかりと足元を支えて見せてくれるような気がする。
寒い中を前に向かい歩く私にとって小春日和は母からのご褒美のようなものだ。
但し何時それが貰えるかは分からなくて、ある日突然その恩恵を授かるのだ。
それが自然のお約束で、私達の手の届かない所で物事は行われているのだ。

 大きな波の中にふっと湧いて来る安堵と温もり、それが私の中に小さな波を起こさせて、色々な想い出と共に優しい夢を見させてくれて、自然と抱かれる。
今迄の大切な風景を思い起こす事、これからの新しい道を夢見る事、そんな力を与えてくれる小春日和が懐かしくて、早く来い、早く来い、と願わせて止まない。
冷たい中に暖かい何かを求めるように、ごく自然に欲している自分がいる。
ご褒美は何時くれるのか分からなくて、だからこそ嬉しいものなのであって、その突然のご褒美に喜ぶ自分がいて、それを大きく流して行く季節があって、それらはまるで舞台の設定のように大掛りでたった一人の私の為に用意されているようで、その中で主人公を演じながら、見えない人生という観客に包まれている。

 小春日和の日は暖かくて、心の中まで寛いで、とろけるような夢を見る。
周りがとろけているのか自分がとろけているのか分からない程に深遠である。
春と間違えて歩いている自分がいて、それが滑稽だけれど立つ位置は深淵だ。
寒い中のほっこりと暖かい深淵、そこには私の大切な想いの全てが混沌とあって、そのどれ一つをとっても遠く切なく、しかし温かくて、全てが自分の一部だ。
そんな小春日和を待ち遠しくしている私は今日も冷たい風の中を歩いて行く。



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