書庫3

暖房の独白にて綴ってきた雑感雑記 



社交場

雑感雑記
 咳が大分治まってきたので、最後にもう一度だけ薬を貰って駄目押しをしようと思い、前回は午後に行った病院へ朝一番で行ってみた所、あっちでもこっちでも老人達が話し合っていて、すっかり混雑する老人の社交場になっていた。
電動車椅子で来る人、車椅子を押して貰って来る人、杖を突いて来る人なども多く、それに自力で歩ける老人達が多く混じっていてまるで老人ホームのようだ。
若い人は数人しかおらず、私と同じ中年の人の数も数える程しかいなかった。
これから時代が進んでいくともっと多くの老人達が病院に通うようになり、それを支える財源は今後どうなっていくのだろうかと考えると、少しぞっとする。
 混雑や並ぶという事が苦手な私は老人達に圧倒されながらも仕方無く待った。
ふと見回すと本を読んでいる人が二人いて、一人は中年男性で文庫本を読んでおり、一人は若い女性で新刊本を読んでおり、上手な時間の使い方に感心した。
私は出掛ける時に本を持ち歩くという事に慣れていないので、少し羨ましかった。
待つ間にもきっと心は小説の中へ入り込み自由な時間を楽しんでいるのだろう。
そんな事を想像しながら私は暫く二人を観察し、本っていいなあと思った。
見知らぬ世界を歩くような感覚で読み進めていき、やがて物語が終ると共に言い得ぬ充足感と余韻とに揺れながら本を閉じ、そうして心が旅を終える。
それが字だけで表現されており、何と素晴らしい文化なのだろうと思う。
まるで言葉自体に魔力があってそれが私達を導くようにして旅をさせるようだ。
 さて、長らく待ってやっと私の名前が呼ばれ、呼吸器科の診察室へと入った。
診察の方は順調で、ではもう一度薬を出しましょうという事で簡単に終った。
やがて受付で処方箋を貰い、何時も使っている薬局へと向かう事にしてふと振り返ると、二人はまだ本を読んでいて、そこだけが空間として切り取られているような孤立しているような気がして、確固たる世界になっているように思えた。
 薬局への道すがら私が思ったのは字を書くという事の創造性についてだった。
字は制約があるようでいて自由で、頭の中から心の中へと入り込んで来る。
それぞれがそれぞれの言葉を感じていて、同じ字でも違う風景を見ている。
その面白さ、自由さ、独自性が字というものの力となっていて、しかも無限だ。
書くという事は勿論書く世界があった上での事なのだが、読むのは自由だ。
その違いというものもまた芸術性を支えていて、総じて優れた文化となっている。
 そんな事を考えている内に何時もの薬局へ着いた私は処方箋を渡した。
何時もの薬剤師が何時ものように説明をして何時ものように袋に入れてくれる。
その動作の間に互いに何を思っているのか、それは誰にも分からない。
動作はまるで字のように間に立っていて、互いを繋いではいるものの自由だ。
字は何かの象徴だろうかとふと思い、それは人のする事にも似ていると思った。
薬と共にその字はしっかりと私に手渡され、私はそれを読むようにぶら下げた。
 帰り道に私は、誰かが書いたその字を大切に抱くようにして歩き、思う。
字を通して何かを感じ、動作を通じて何かを感じ、字と動作は実は一緒だ。
形が違うだけで表現している事には違い無く、字は人そのもの足り得る事を。
字は私であり、あなたであり、字は心であり、動作であり、生きている証だ。



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なか杉こう | 2007/11/15 21:58
はじめまして、暖房さん。おもしろいお名前ですね。こう、とつとつとつとひとり考えながら歩くみたいな、歩きながら考えるみたいな書き方に
惹かれました。「おとなの社交場」から転々とやってまいりました。なか杉こうといいます。またときどきお邪魔させていただきたくよろしくお願いします。
暖房 | 2007/11/15 22:24
 なか杉こう さん、はじめまして。
おとなの社交場でもよろしくお願いしますね。
素敵な詩、これからも続けて下さいね。